Lazaro Ribeiro de Olibeira (ラーザロ・リベイロ)

Lázaro Ribeiro de Oliveira

 幼年時代貧しい家庭環境で育った彼は、生活の苦しさは、身を持って経験していた。5才の時、父Josino Ribeiro を失い10才で母を助けるためにレンガ工場に勤めだした。そして14才の時学業を捨て、兄の経営する食肉店に務め出した。そこで8年間働いていたが、その間に運転手、農場支配人等を兼業した。

1979年にはすでに結婚しており妻Aparecida Maria Caixetaの間に 娘Lilianをもうけていた。

その後、町のガソリン・スタンドの共同経営者となり、元来の勤勉な働きぶりにより大変繁盛し、次第に生活にも潤いが見られて来た。子供達もLilianに続いてDaiela(心理学者),Juliana( 建築士 ),Gustavo(  農学士 )と4人の子宝に恵まれ、それぞれが立派に成長して行った。農学士Gustavoは現在農場経営に携わっている。

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コーヒー栽培の始まり

 

1975年コーヒーの一大生産地のパラナ州を襲った霜害はコーヒーを焼き尽くし生産者達は新しい栽培地を求めて、ミナス州パトロシーナ市近辺に移動を開始していた。セラード・ミネイロ地方の地形は平坦で海抜、気候条件もコヒー栽培に適した条件を揃えていた。パラナ州での栽培経験と技術がミナス州にもたらされ栽培技術が向上し、品質向上と共に、コーヒー価格も向上して行った。

1985年Lázaroもコーヒー栽培を始めた。元々農業が好きであった彼にとっては、水を得た魚の如くその事業は発展して行った。そして今日ではセラード地区の有名なコーヒー栽培者としての地位を獲得している。

現在農場は2ヶ所にあり、パトロシーニョ地区にクラウジオ・コンゴニアス農場、サンタ・ルジア・ドス・バーロス地区にスマトラ農場を所有している。農場管理は息子のグスターボが管理している。息子の意見を取り入れて、高品質コーヒー生産に取り組んだ結果、今日では年間生産量のほとんどがプレミアム・コーヒー以上である。栽培に関しては常に自然環境維持に注意し、収穫は全て機械化されている。収穫された豆は3種類に選別され、乾燥はセメントで固められた乾燥場と薪による火力乾燥が行われている。

農場内の労働者家族達には住居は勿論のこと、通学などの移動手段にも気を配っている。

 
 

 

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事業と社会奉仕

LázaroはAgal グループの共同発起人で有り、3所のガソリンスタンドを経営し又セラードコーヒー生産共同組合監事長を務めるかたわら、パトロシニオ市慈善病院運営監事を15年間つとめているのを始めとして、多くの慈善団体に協力している。彼の生活の半分以上は社会奉仕についやしていると言っても過言ではない。趣味はミナス州内のプロサッカークラブの熱狂的なフアンであり時間の許す限り応援に駆け着けている。その他には、魚釣りも同様に、趣味以上に入り込んでいる。

家族を愛し、常に人生を前向きに捉え、仕事熱心なる人物である。

 

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