エルメス・ジョゼ・マルケス・デ・メデイロスは、コーヒーを生産する農民である。フォルキーリャのその伝統的な一族の一員としてメデイロス家で、1955年8月16日生れでた。
彼の父方の祖父アントニオ・メデイロスは、ポルトガル人で、ブラジル人女性である彼の祖母アレッシャンドリーナ・メデイロスと結婚した。
エルメスの父親がまだ幼かったころ、祖父母夫婦はコーヒーを植えるために涼しさと標高を求め、この地域に引っ越してきた。
母方の祖父はイタリア人で、同様にブラジルに移住し同地域に多く住むプリ族の子孫であるオリンディア婆さんと結婚した。祖父母の二人もまた、エルメスの母親が12歳の時にフォルキーリャ・ド・リオへ移って来た。
祖父母は、同地域でコーヒー栽培を既に行っていたものの、僅かな量であった。父親はコーヒーを主要作物とする栽培地をもっていが、牛、タバコの葉、トウモロコシ、インゲン豆を扱い、そしてサトウキビの製糖工場も持っていた。両親は、7人の息子達と共に、そこそこに事業を営んでいたが、その兄弟の中で末っ子にあたるのがエルメスである。彼が生まれた時、両親は既に良い生活を送っていたと、彼は言う。そのため、彼は同地域の多くの子供たちとは異なり、非常に穏やかで慎ましやかな幼少時であった。当時の大方の子供たちが、8歳や9歳で働き始めていたが、エルメスは12歳から働き始めた。
父親と母親の影響と家族の伝統を継ぐことにより、エルメスもまたコーヒーを植え始め、それは常に主要な仕事かつ収入源となった。スペシャルティ・コーヒーについては、彼が同地域で最初にスペシャルティ・コーヒーを生産したと、彼は言う。同地域の農業生産者の間でコーヒーの品質改善の動きが起こる何年か以前である、15年ほど前に、彼はヴィソウザ連邦大学の或る農業技師の助けを受け、有機コーヒーの生産プロジェクトに参加した。彼は5年間、有機コーヒーを栽培し、高品質の豆を生産した。しかし今日考えられている様な有機生産物の価値に対する大きな見返りや、農業生産者に対する評価からすれば、当時は信じられない様な状況であった。この時のエルメスのコーヒー栽培を、別の言葉に置き換えれば、「最大の困難」という一言につきる。
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