Lineup

商品紹介

  • MC16-17-92 Nakao Orlando & Andre(中尾家)

    マイクロロット2016マイクロロット

    【中尾家】1910年頃よりこの物語は始まる。当時の日本は長年の不況に見舞われ国民はそれを逃れて海外に新天地を求めて移住を始めていた。ブラジル移住もその選択肢の一つであった。家族を代表して単独でブラジル移住を決意したのが中尾増吉であった。

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  • Inácio Carlos Urban Rio Brilhante農園

    マイクロロット2016マイクロロット

    イナッシオ・カルロス・ウルバン(Inácio Carlos Urban)氏は、1951年8月12日リオ・グランンジ・ド・スール州ノン・メ・トッキの生まれで、戦争を逃れるために新天地を求めブラジルへ移住してきたドイツ人農業生産者の曽孫にあたる。

    ウルバン氏は、7人兄弟中、唯一の男性で、家族を養う責任のあった父と共に若い時期から働き始めた。

    1975年5月24日、彼が25歳の時、古郷では得られなかったチャンスを掴むため、パットス・デ・ミナスへ移り住んだ。ガウーショ(リオ・グランンジ・ド・スール出身者)の彼は、世界へ食糧を供給するという強い志を持って、以前は不毛の地と考えられていたアルト・パラナイーバ地域にあるミナスのセラードを開拓し、繁栄の大地を築き上げた。そしてここにファフォピーリャ・グループの歴史が始まる。

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  • Inácio Carlos Urban Rio Brilhante農園

    マイクロロット2016マイクロロット

    イナッシオ・カルロス・ウルバン(Inácio Carlos Urban)氏は、1951年8月12日リオ・グランンジ・ド・スール州ノン・メ・トッキの生まれで、戦争を逃れるために新天地を求めブラジルへ移住してきたドイツ人農業生産者の曽孫にあたる。

    ウルバン氏は、7人兄弟中、唯一の男性で、家族を養う責任のあった父と共に若い時期から働き始めた。

    1975年5月24日、彼が25歳の時、古郷では得られなかったチャンスを掴むため、パットス・デ・ミナスへ移り住んだ。ガウーショ(リオ・グランンジ・ド・スール出身者)の彼は、世界へ食糧を供給するという強い志を持って、以前は不毛の地と考えられていたアルト・パラナイーバ地域にあるミナスのセラードを開拓し、繁栄の大地を築き上げた。そしてここにファフォピーリャ・グループの歴史が始まる。

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  • Jose Adriano Neto N.S.do Carmo農園

    マイクロロット2016マイクロロット

    <南ミナスから新産地 <<>>が登場!!!>

     いまやブラジルのスペシャルティコーヒーを語るうえで外せなくなった南ミナス。従来のブラジルのイメージを覆すクリーンな酸でコンテスト上位を独占してきました。

     一方でブラジル最大の産地であることからも、日本にも多くの南ミナス産コーヒーが入ってきており、そのクオリティに幅があることも事実。

    今回セラード珈琲でマイクロロットシリーズを立ち上げるにあたり、本当に美味しい南ミナスはどこにあるのか?というテーマからたどり着いたのがここ、SAPUCAIでした。

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  • Luiz Hervaz Lobato Fortaleza農園

    マイクロロット2016マイクロロット

    <São Gonçalo do Sapucaí>

    カルモ・デ・ミナス地域のコーヒーが有名になったのは2004年前後、当時コンサルタントとしてその地域に入ったセラード珈琲役員は「設備投資と知識が無いだけで十分に良質のコーヒー栽培ができるポテンシャルがあった。」と振り返る。

    やがてその地域は世界中の注目を集める事となり、輸出量が増えていった。 やがて供給が追い付かず、技術指導をしながら徐々に範囲を広げいった。

    最終的に、特別なコーヒー栽培が可能なエリアを「セーラ・ダ・マンチケイラ」と呼称し、その地域の地図とともに世界に発信している。

    サン・ゴンサロ・ド・サプカイ地域は、その地図上で北西に位置し、標高の高い所では特別なフレーバーが期待される。

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  • Ademilson Noiman Borges

    マイクロロット2016マイクロロット

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  • Augusto Borges Ferreira Capadocia農園

    マイクロロット2016マイクロロット

    <São Gonçalo do Sapucaí>

    カルモ・デ・ミナス地域のコーヒーが有名になったのは2004年前後、当時コンサルタントとしてその地域に入ったセラード珈琲役員は「設備投資と知識が無いだけで十分に良質のコーヒー栽培ができるポテンシャルがあった。」と振り返る。

    やがてその地域は世界中の注目を集める事となり、輸出量が増えていった。 やがて供給が追い付かず、技術指導をしながら徐々に範囲を広げいった。

    最終的に、特別なコーヒー栽培が可能なエリアを「セーラ・ダ・マンチケイラ」と呼称し、その地域の地図とともに世界に発信している。

    サン・ゴンサロ・ド・サプカイ地域は、その地図上で北西に位置し、標高の高い所では特別なフレーバーが期待される。

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  • Nilton Gonçalves de Carvalho

    マイクロロット2016マイクロロット

    ニウトン・ゴンサウヴェス・デ・カルバーリョは、今クオリティー・コーヒーを栽培している彼の農園からそれ程遠くないジヴィーノ・デ・カランゴーラで生まれた。ニウトンは、彼の家族と共にジヴィーノの隣町のサン・ドミンゴスと言う小さな村に遊びに来ていた。彼が寝泊まりしていたサン・ドミンゴスにある農場の地主に薦められ、2003年の終わりごろ、その中の一部の土地を買う決意をした。

    サン・ドミンゴスは水が豊富な上、土地も肥沃で、害虫もいなかった。その他にも面白味のない歩合制での生活にニウトンが見切りをつけるのに良い機会でもあった。その結果として、家財道具を持って引っ越した。

    彼の両親や祖父母もまた、町から近いその地域で生まれた。父方の家族はマニュサウ出身で、ニウトンはマニャサウでの子供の頃、彼と彼の兄弟は、小さな缶でコーヒーを収穫しに行っていたことを覚えている。彼らはコーヒーを 臼で潰して、岩の上において乾燥させていた。学校へ行く前や終わった後に飲むため、そのような方法でコーヒーを作っていた。でも彼の両親は、祖父母同様に家庭内で飲用するのみにコーヒーを生産していた。収入源や仕事としてコーヒー栽培を始めたのは、ニウトンであった。

    ニウトンはエジラマールと結婚し、4人の子供がいる:エジライネ、ニウマ、エジミウトンとニヴァウド。二人の娘は結婚して町の方に住んでいる。二人の息子はコーヒー栽培の仕事にずっと参加している。農園での営農は完全に家族経営で、家族は新しいことに取り組むことに厭わない。ある時ニウトンは肘を骨折し、畑仕事が出来なくなったため、彼が加入している協会でスペシャリティコーヒーついての講習に通うことに決めた。彼の家族は好奇心が旺盛で、講習の内容に興味を持った。講習で教えられたことを忠実に実行し始め、コーヒーに詳しい専門家を自分の農園に呼んだりして、仕事をやりながら、少しづつと自分たちの豆の品質が良くなっていくことに気づかされた。あの時の肘の骨折は不幸中の幸いで、今日、良い結果を招いたニウトンはと言う。

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  • Sávio Abreu Oliveira

    マイクロロット2016マイクロロット

    エスピリットサント州とミナス・ジェライス州の州境、険し山並みの中に位置するカパラオ山脈で、サビオ・アブレウ・オリベイラ(Sávio Abreu Oliveira)は、コーヒーを栽培している。1995年、ミナス・ジェライス州エスペイラ・フェリス生まれのこの若者は、スペシャルリティ・コーヒーに魅了され、最高のロットの生産すべく仕事に取り組んできた。

    フォルキーリャ・ド・リオ集落は、高品質のコーヒーの供給に適した地形・標高・気候を有し、美しい谷間や丘陵がある渓谷である。そして彼は当地に古からある4家族の一員である。

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  • Manoel Protazio de Abreu

    マイクロロット2016マイクロロット

    マノエル・プロタージオ・デ・アブレウは、エスピリット・サント州ドーレス・ド・リオ・プレット市に位置するフォルキーリャア・ド・リオの集落に古くからある五家族の内の一家族である。彼の父方の祖父は、ポルトガル人でマノエルといい、彼と同じ名前であった。

    マノエル・サルバドール・プロタージオ・デ・アブレウ祖父さんは1900年生まれで、若い時、ポルトガルからリオ・デ・ジャネイロ州のカンタガーロに着き、ブラジルにやって来た。自分自身で所有できる自由な土地を求めエスピリット・サント州を目指し、カンタガーロを発ち長い旅についた。今日プロタージオ家が定住する所有地があり、現地生れのマリア祖母さんと知り合い結婚することになるフォルキーリャア・ド・リオの集落で、彼の旅を終えた。何年か後、彼の両親は、マノエル本人と同様にフォルキーリャア・ド・リオで生まれ、そして育った。

    一族のコーヒー栽培は、ほぼ一世紀に及ぶ。1925年頃、マノエルの祖父母は、森林を斧で切り拓き、そこでコーヒーの栽培を始めた。その当時の農場の事情は異なっており、コーヒーであれ全ては自家使用のために植付けられていた。外界とは非情に孤立して生活しており、その村落以外への商品の売り買いは難しかった。当時その場所には電気もなく、唯一農場の外で求めたものは、塩と軽油であった。彼の祖父は、彼らが住んでいた所から牛車で一日がかりの場所にあった鉄道の駅へ、それらの商品を手に入れるために行っていたとマノエルは語る。

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