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商品紹介

  • Jose Emilio Magro Joia da Forquilha農園

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    田舎を離れ都会に移り住む人々についての多くの話しを私たちは知っている。

    しかし、その逆のことも当然ある。都会で生まれ育ち、色々な理由で田舎へと向かう人々もいる。コーヒー生産者ジョゼ・エミリオ・マグロ(José Emílio Magro)もその一人である。

    1954年、彼はミナス・ジェライス州の地方の町カランゴーラに生まれた。彼の今まで、色々な都会の街に住んんだ。この田舎町を出て、エスピリットサント州の首都ヴィットリア、リオデジャネイロ、果ては遠く離れたアクレ州のリオブランコと。

    ゼ・エミリオ(=彼の愛称)は、大学に入るためヴィットリアへ行き、医師となった。その後、アクレ州で医業に従事する。

    アクレ全域の労働者の健康と安全管理を目的に開設された診療所で、彼は医師となった。また彼はそこで最初の結婚をし、ルドミラという名の娘を授かった。

    何年か後、ヴィットリアに引っ越し、定年まで働いた。そこでは、現在の妻であるエリエルシ・ダ・クーニャ・マグロと改めて結婚した。

    今、彼は一方の軸足を町に於き、もう一方の軸足を畠に置く。

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  • Hermes José Marques de Medeiros

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    エスピリット・サントス州とミナス・ジェライス州の州境に位置する、大きな渓谷と山々に囲まれたカパラオ山脈の中、フォルキーリャ・ド・リオと呼ばれる小さな集落がある。何十年も前、この渓谷はまさに誰も住まない所であったが、ある先駆者が、農場を切り拓く為にやって来た。この先駆者である祖先達は、その地域では伝統的な4家族へとなった。そして今日、その地で彼らの子孫は生活し、婚姻を重ね、大きな家族を形成していった

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  • José Alexandre Abreu de Lacerda

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    生産者のジョゼー・アレシャンドレ・デ・アブレウ・デ・ラセルダは、ミナス・ジェライスス州との境に接するエスピリト・サント州ドーレス・ド・リオ・プレット市に所在するフォルキーリア・ド・リオと言う集落で、古から知られているラセルダ家の一人のメンバーである。彼はそこで生まれ育った。

    Afonso Donizete Lacerda(アフォンソ・デニゼッチ・ラセルダは兄弟であり、他のロットで生産者として紹介しており、厳密には農園内を区画分けしているが、基本的に一緒に経営している。

    彼の高祖父はポルトガル人で、ポルトガルからエスピリト・サント州ヴィトーリア港を経由し6ヶ月の旅を経てブラジルのフォルキーリア・ド・リオに辿り着いた。現地で生まれ育った彼の高祖母と結婚し、今日のラセルダ家が在る。

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  • Manoel Salvador Protázio de Abreu

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    マノエル・サルバドール・プロタージオ・デ・アブレウは、ネウ【の愛称】で知られている。1976年7月11日生まれの39歳、エスピリット・サント州ドーレス・ド・リオ・プレット市に位置するフォルキーリャア・ド・リオの集落における古くからの五家族の一員である。

    彼の名前は、父方の祖父マノエル・サルバドール・プロタージオ・デ・アブレウ爺さんに因んでいる。マノエル爺さんはポルトガル生まれで、若い時、リオ・デ・ジャネイロ州のカンタガーロに着き、ブラジルにやって来た。自分自身で所有できる自由な土地を求めエスピリット・サント州を目指し、そこ【カンタガーロ】を発ち長い旅についた。フォルキーリャア・ド・リオの集落で彼の旅を終え、現地生れのマリア・ジョアナ・デ・アマラル婆さんと結婚し、森林地帯に住むことになった。住んでいた家は、その地域で伐採された木材で建てられ、家の敷地内や地域の道などで野生動物と出くわすことが当たり前であったと、ネウは語る。フォルキーリャア・ド・リオで何年の後、ネウと同様に、ネルの両親は生まれ育った。

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  • Jose Adalto de Abreu

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    ジョゼ・アダルト・デ・アブレウは、皆にはタオとして知られている。1972年1月2日生まれで、エスピリット・サント州ドーレス・ド・リオ・プレット市に位置するフォルキーリャア・ド・リオの集落における古くからの家族の一員である。父方の曽祖マノエル・マルケス・デ・アブレウは、ポルトガルに生まれ、若いときリオ・デ・ジャネイロ州のカンタゴーラに到着し、ブラジルにやって来た。経緯は軍役に付きたくなかったのと、移住者として働きたかった為であった。自分自身で所有できる自由な土地を求めエスピリット・サント州を目指し、リオデジャネイロ州から長い旅についた。彼の最初の農場は、タオが今日住んでいる集落に近いサン・ドミンゴスに位置していた。タオの曾祖母のマリア・ジョアナ・デ・アマラウと結婚しフォルキーリャ・ド・リオに引っ越した。母方の経歴は少なく、タオが思い返すは8歳の時に孤児となりミナスジェライス州ヴァルジェン・アレグレの叔母の家で育てられた祖父のみのことを覚えている。何年か後、彼は結婚し、またフォルキーリャ・ド・リオ集落に引っ越し、そこで家庭を構えた。その後、タオ自身と同様に両親はフォルキーリャ・ド・リオで生まれ育った。彼は自分意思で、この地域から一度も出たことは無い。

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  • Glacione Jose Fernandes

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    グラシオーネ・ジョセ・フェルナンデスは、カパラオ山脈地区で1976年5月に生まれた。
    幼い頃、ミナス・ジェライス州のエスペイラ・フェリス市に位置する、サン・ドミンゴスと呼ばれる集落にやって来た。
    大方ブラジル人同様、彼の祖先がこの地域にたどり着いてから三代目となり、グラシオーネは、多くの人種と国籍が混ざり合った孫である。
    母方の曽祖父は、黒人でプリ族のインディオと結婚し、その絆を作った。
    曽祖父母は褐色の肌の祖父をもうけ、そして祖父は移民の娘であるイタリア人と結婚した。
    父方の曽祖父はいイタリア人とポルトガル人であった。そして今グラシオーネの所有地でとなっている、今回の話題に取り上げている土地を一族は購入し、100年以上に渡り暮らしている。

    彼の父方の祖父アントニオ・ルイス・フェルナンデスは、同地域での可能性を試すために、僅かな量のコーヒー栽培を始めた。
    コーヒーは、殆どが手作業で生産され、地域内のみで売れられていた。
    以前、同地域には街道もなく、牛車すら通らなかった。移動は、徒歩で小道を通っていた。
    グラシオーネの幼年時代、エスペイラ・フェリスの町は小さな村で、何かの製品を売るためには、背に荷物積んだ家畜を引き、8時に其処へ着くのに朝の2時に出発しなければならなかった。
    少し大きな町グアスイーまでは、およそ3日間の旅であった。
    この様に集落外へコーヒーを販売するために持って行くことは容易ではなかった。

    初めの頃、パウロの祖父は僅かに家計を賄うために栽培していたが、年を追うごとに人々がコーヒーの購入に興味を持ってきたので、農場での生産を増やしていった。

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