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商品紹介

  • Jose Emilio Magro Joia da Forquilha農園

    マイクロロット2017マイクロロット

    田舎を離れ都会に移り住む人々についての多くの話しを私たちは知っている。

    しかし、その逆のことも当然ある。都会で生まれ育ち、色々な理由で田舎へと向かう人々もいる。
    コーヒー生産者ジョゼ・エミリオ・マグロ(José Emílio Magro)もその一人である。

    1954年、彼はミナス・ジェライス州の地方の町カランゴーラに生まれた。
    彼の今まで、色々な都会の街に住んんだ。この田舎町を出て、エスピリットサント州の首都ヴィットリア、リオデジャネイロ、果ては遠く離れたアクレ州のリオブランコと。

    ゼ・エミリオ(=彼の愛称)は、大学に入るためヴィットリアへ行き、医師となった。
    その後、アクレ州で医業に従事する。

    アクレ全域の労働者の健康と安全管理を目的に開設された診療所で、彼は医師となった。
    また彼はそこで最初の結婚をし、ルドミラという名の娘を授かった。

    何年か後、ヴィットリアに引っ越し、定年まで働いた。
    そこでは、現在の妻であるエリエルシ・ダ・クーニャ・マグロと改めて結婚した。

    今、彼は一方の軸足を町に於き、もう一方の軸足を畠に置く。

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  • Marcos Antônio de Oliveira

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    マルコスは、ミナス・ジェライス州の地方都市エスペラフェリス市のポンチ・ドス・マカコ地域で1970年6月1日に生まれる。

    5歳の時、同じエスペラフェリス市のヴァルジェン・アレグレ地域に移った。

    そして25歳で結婚し、その後エスピリットサント州ドーレス・ド・リオプレットのペドラ・メニナ地域に引っ越した。

    彼の父方の曾祖母は、インデアンの血を引く。また母方の祖父はイタリア出身である。

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  • Afonso Donizete Lacerda

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    生産者のアフォンソ・ドニゼッテ・アブレウ・デ・ラセルダは、ミナス・ジェライス州との境に接するエスピリト・サント州ドーレス・ド・リオ・プレット市に所在するフォルキーリア・ド・リオと言う集落で、古から知られているラセルダ家の一人のメンバーある。彼はそこで生まれ育った。

    Jose Alexandre Lacerda(ジョゼ・アレッシャンドレ・ラセルダ)は兄弟であり、他のロットで生産者として紹介しており、厳密には農園内を区画分けしているが、基本的に一緒に経営している。

    彼の高祖父はポルトガル人で、ポルトガルからエスピリト・サント州ヴィトーリア港を経由し6ヶ月の旅を経てブラジルのフォルキーリア・ド・リオに辿り着いた。現地で生まれ育った彼の高祖母と結婚し、今日のラセルダ家が在る。

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  • Edison Abreu Olibeira

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    エジーニョとして知られる、エジソン・アブレウ・オリベイラは、ミナス・ジェライス州とエスピリット・サント州の州境に位置する、標高の高い山脈、セーハ・カパラオ地域のコーヒー生産者である。

    エジーニョは1989年12月12日生れ。
    同山脈の中で丘陵の拡がるフォルキーリャ・ド・リオ集落に古から居る4家族の一員である。

    彼の家族の苗字アブレウは、高祖父の父親から始まった。
    高祖父の父親はポルトガルで生まれで、リオデジャネイロ州のカンタガーロ経由でブラジルへやって来た。
    自由になる自分の土地を求め、ポルトガルから、エスピリット・サントス州を目指しての長い旅であった。
    彼は結婚し、やがて彼が農場を拓くことになるフォルキーリャ・ド・リオ集落に移り住んだ。

    一族に於いてコーヒー栽培は、ほぼ1世紀となり、曽祖父が今と同じ場所でコーヒー栽培を始めた。

    当時、農場の状況は今とは異なっていた。生産の手助けをする機械や技術も無く、まさに手作業であった。
    それゆえ生産されていたコーヒーの品質も、非常に低かった。
    そして家庭内で消費しきれなった分を近隣の町で、物々交換したり、売ったりしていた。
    街道もなくフォルキーリャの生活は非常に孤立していた。
    商品はロバの背中に載せられ町まで運ばれていたが、その道のりは1日がかりか、それ以上であった。

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  • Almir Degenário Leal

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    1961年10月28日、リオデジャネイロ州サンタ・クラーラ生れ。

    現在、エスピリットサント州ドーレス・ド・リオプレット市フォルキーリャ・ド・リオに在住。

    祖父母がブラジルへ移住してきた、イタリア系移民の子孫である。

    彼の祖先は畜産を代々行っていたが、コーヒー栽培は、アゥミール氏が1979年頃より始めた。

    今までコーヒー収穫にあたっての苦労は、収穫期の雨、設備の不足、そして知識の不足であった。

    彼は、パルパーや乾燥機など機械設備を持たず、コンクリート張りの乾燥場と、最近建てたハウスのみを所有している。

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  • Fábio Rubio Sabino

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    ファビオ・ルビオ・サビノは、ミナス・ジェライス州エスペーロ・フェリス市にある集落サン・ドミンゴスで生まれ育った。
    1991年生まれのコーヒー栽培に従事する青年で、25歳の時に最初のスペシャルティ・コーヒーの収穫を成し遂げた。

    彼のファミリーは、祖先がブラジル系とヨーロッパ系移民である。
    曾祖父母の中でも、1人の曾祖母はブラジル人でファビオが今住んでいる同じ所で生まれ、1人の曾祖父はインデアンであった。
    他の曾祖父母達は、ヨーロッパ人でブラジルへ移民したポルトガル人、スペイン人とイタリア人で、その一部は第一次世界大戦から逃れてきた移民である。
    コーヒー栽培はおよそ70年前、祖父オスマールと共に曾祖父母の代から既に始めていた。
    オスマール爺さんは、軍人であったが、20歳の時、コーヒーを栽培する為に軍隊を後にした。
    ファビオの両親は、コーヒー栽培を継ぎ、ファビオもまた後を継いだ。

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  • Glacione Jose Fernandes

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    グラシオーネ・ジョセ・フェルナンデスは、カパラオ山脈地区で1976年5月に生まれた。
    幼い頃、ミナス・ジェライス州のエスペイラ・フェリス市に位置する、サン・ドミンゴスと呼ばれる集落にやって来た。
    大方ブラジル人同様、彼の祖先がこの地域にたどり着いてから三代目となり、グラシオーネは、多くの人種と国籍が混ざり合った孫である。
    母方の曽祖父は、黒人でプリ族のインディオと結婚し、その絆を作った。
    曽祖父母は褐色の肌の祖父をもうけ、そして祖父は移民の娘であるイタリア人と結婚した。
    父方の曽祖父はいイタリア人とポルトガル人であった。
    そして今グラシオーネの所有地でとなっている、今回の話題に取り上げている土地を一族は購入し、100年以上に渡り暮らしている。

    彼の父方の祖父アントニオ・ルイス・フェルナンデスは、同地域での可能性を試すために、僅かな量のコーヒー栽培を始めた。
    コーヒーは、殆どが手作業で生産され、地域内のみで売れられていた。
    以前、同地域には街道もなく、牛車すら通らなかった。移動は、徒歩で小道を通っていた。
    グラシオーネの幼年時代、エスペイラ・フェリスの町は小さな村で、何かの製品を売るためには、背に荷物積んだ家畜を引き、8時に其処へ着くのに朝の2時に出発しなければならなかった。
    少し大きな町グアスイーまでは、およそ3日間の旅であった。
    この様に集落外へコーヒーを販売するために持って行くことは容易ではなかった。

    初めの頃、パウロの祖父は僅かに家計を賄うために栽培していたが、年を追うごとに人々がコーヒーの購入に興味を持ってきたので、農場での生産を増やしていった。

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  • Jozimar Ramos Protázio

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    ジョジマール・ラモス・プロタージオは、エスピリット・サント州とミナス・ジェライス州の州境に位置する山岳地帯の中にあるカパラオ山脈のスペシャリティ・コーヒー生産者である。

    エスピリット・サント州ドーレス・ド・リオ・プレット市に位置するフォルキーリャア・ド・リオの集落における古くからの五家族の一員である。
    彼の曽祖父は同集落の先駆者で、その地域に畠も隣人も居ない原生林であった時に彼は到着した。
    農場が安定してきたころ、農地の規模も広くなり、一家の主な収入源は畜産であった。
    農場でコーヒー栽培を始めたのは、彼の父親の父、祖父シッキーニョであった。
    しかしながら、当時、交通手段や街道もなく、細道を徒歩か牛車で移動せねばならず、まだコーヒーを売ることは難しかった。
    コーヒーは、彼の父親ジョゼ・オメロの栽培を経て、コーヒーの世界へ飛び込んだジョジマールへと、代々受け継がれた。
    彼の父親の当時、コーヒーの畝間も含め、まだ沢山のタマネギを植えていたが、タマネギの市場での価格が安いことから、時を経て、タマネギはコーヒーに転換されていった。

    青年の時からジョジマールは畠で働いた。
    そして時間の経過と共にコーヒーの栽培や販売の状況は、非常に変化し良くなっていると語る。
    最初の頃は、非常に手作業が多く、骨が折れた。コーヒーの木から粒をもぎ取り、少し後に熊手を使い、手作業で土の上の粒を集めていた。
    コーヒーの袋は、畠から乾燥場まで、山腹の坂を下って運ばれていた。
    仕事が多いが、結局のところ価格は安かった。
    地域でのバイヤー不足により、コーヒーは廉価で売られていたし、悪いコーヒーとクオリティー・コーヒーの間に何らの値差もなかった。
    時が過ぎ、多くのバイヤーが訪れ始め、販売価格は改善してきたので、一家は設備を整えていった。
    当地域の生産者達は、市場や等級分に関して、より情報を得られる様になった。

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  • Sávio Abreu Oliveira

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    エスピリットサント州とミナス・ジェライス州の州境、険し山並みの中に位置するカパラオ山脈で、サビオ・アブレウ・オリベイラ(Sávio Abreu Oliveira)は、コーヒーを栽培している。
    1995年、ミナス・ジェライス州エスペイラ・フェリス生まれのこの若者は、スペシャルリティ・コーヒーに魅了され、最高のロットの生産すべく仕事に取り組んできた。

    フォルキーリャ・ド・リオ集落は、高品質のコーヒーの供給に適した地形・標高・気候を有し、美しい谷間や丘陵がある渓谷である。そして彼は当地に古からある4家族の一員である。

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  • Ronaldo Gonçalves Lacerda

    マイクロロット2017マイクロロット

    生産者ロナルド・ゴンサルベス・ラセルダは、ラセルダ家の一員で、フォルキーリャ・ド・リオ集落で生まれ育った。

    その小さな集落は、カパラオ山脈という、エスピリット・サント州とミナス・ジェライス州の州境の山脈にある。

    三世代から四世代以前の先駆者である彼の先祖が、フォルキーリャにやって来て、この地域で農耕と農場開発を始めた。

    ロナルドの父方の高祖父はポルトガル人で、エスピリト・サント州ヴィトーリア港を経由しフォルキーリアまで、ポルトガルから6ヶ月の旅を経てブラジルに来た。
    ここで、現地生まれの彼の高祖母と結婚し、ラセルダ家が誕生した。

    ロナルドの母方の曾祖父母は、祖父が8歳の時にイタリアからブラジルにやって来た。

    航海途中に船が難破しかけた時のこと、彼の曾祖父は、旅で生き延びブラジルで成功したらノッサ・セニョーラ・ダ・アヌンシアッタと言う名前の教会を建てることを誓ったとのエピソードを、ロナルドは語る。

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