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商品紹介

  • Manoel Salvador Protázio de Abreu

    マイクロロット2017マイクロロット

    マノエル・サルバドール・プロタージオ・デ・アブレウは、ネウ【の愛称】で知られている。
    1976年7月11日生まれの39歳、エスピリット・サント州ドーレス・ド・リオ・プレット市に位置するフォルキーリャア・ド・リオの集落における古くからの五家族の一員である。

    彼の名前は、父方の祖父マノエル・サルバドール・プロタージオ・デ・アブレウ爺さんに因んでいる。
    マノエル爺さんはポルトガル生まれで、若い時、リオ・デ・ジャネイロ州のカンタガーロに着き、ブラジルにやって来た。
    自分自身で所有できる自由な土地を求めエスピリット・サント州を目指し、そこ【カンタガーロ】を発ち長い旅についた。
    フォルキーリャア・ド・リオの集落で彼の旅を終え、現地生れのマリア・ジョアナ・デ・アマラル婆さんと結婚し、森林地帯に住むことになった。
    住んでいた家は、その地域で伐採された木材で建てられ、家の敷地内や地域の道などで野生動物と出くわすことが当たり前であったと、ネウは語る。
    フォルキーリャア・ド・リオで何年の後、ネウと同様に、ネルの両親は生まれ育った。

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  • Everaldo Protázio de Oliveira

    マイクロロット2017マイクロロット

    エヴェラルド・プロタージオ・デ・オリベイラは、エスピリット・サント州とミナス・ジェライス州の州境に位置する山岳地帯の中にあるカパラオ山脈のスペシャリティ・コーヒー生産者である。
    彼は森林とコーヒー園が連なる風景が見られる谷間の中のフォルキーリャ・ド・リオと呼ばれる小さな集落で生まれた。
    母方の祖先は、この地域か近辺で生まれ、父方の祖先はイタリアから来た移民たちであった。
    イタリア人の彼の曽祖父は、フォルキーリャ・ド・リオに来て、この地域では珍しく今も残る、その当時に建てられた大邸宅のある、ヴィラ・ジャヌアリアと呼ばれる農園を後に拓いた。

    トウモロコシやインゲン豆の栽培や畜産を営む中で、エヴェラルドの祖父は、既にコーヒーを栽培していた。
    当時の販売価格は非常に安く、僅かながら収入の足しになる程度であった。
    エヴェラルド一家の所有地の場所の都合より、コーヒーは地域のより低い場所に植えられ、僅かコーヒーが高い場所に移された。
    最初、同地域のコーヒーの木は僅かであったし、新植の為の苗も無かった。
    畠は植付を行う場所に“gavetas【=引出し】”と呼ばれる穴を掘って種を入れ、藁で覆う“café de gaveta【=引出しのコーヒー】”という方法で、徐々に広げられていった。
    発芽するのは僅かであったが、このように同地域で畠が広がっていった。

    植付は低地から丘の上へと移動されていった。これに伴い同地域に、外部からのバイヤーが徐々に訪れる様になった。
    それにつれ、以前は何時間もかけ牛車で近隣のちっぽけな町まで運ばなければなかったコーヒーの販売が一層容易になった。
    同地域の供給の増加とバイヤーの到来ともにコーヒーの価値が向上してきた。
    しかしエヴェラルドは、コーヒー相場の乱高下により大きな危機に直面したこともあると言う。
    80年の終わりごろ相場は突然下落し、一夜が明けて10分の1になったこともある。
    貸付金利は非常高くなり、結果としてエヴェラルドはその後5年間、借金の返済の為だけに働くという、この危機の被害を受けた。

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  • Marcos Antônio de Oliveira

    マイクロロット2017マイクロロット

    マルコスは、ミナス・ジェライス州の地方都市エスペラフェリス市のポンチ・ドス・マカコ地域で1970年6月1日に生まれる。

    5歳の時、同じエスペラフェリス市のヴァルジェン・アレグレ地域に移った。

    そして25歳で結婚し、その後エスピリットサント州ドーレス・ド・リオプレットのペドラ・メニナ地域に引っ越した。

    彼の父方の曾祖母は、インデアンの血を引く。また母方の祖父はイタリア出身である。

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  • Hermes José Marques de Medeiros

    マイクロロット2017マイクロロット

    エスピリット・サントス州とミナス・ジェライス州の州境に位置する、大きな渓谷と山々に囲まれたカパラオ山脈の中、フォルキーリャ・ド・リオと呼ばれる小さな集落がある。
    何十年も前、この渓谷はまさに誰も住まない所であったが、ある先駆者が、農場を切り拓く為にやって来た。
    この先駆者である祖先達は、その地域では伝統的な4家族へとなった。
    そして今日、その地で彼らの子孫は生活し、婚姻を重ね、大きな家族を形成していった

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  • Fernando Toledo de Abreu Medeiros

    マイクロロット2017マイクロロット

    フェルナンドの一家において、コーヒーにまつわる話しは、祖父ジャルマ・メデイロス(愛称フィリーニョ・メデイロス)がコーヒーの苗を彼の土地で作った, 1970年代に始まる。

    それまでフェルナンドの一家は、この地域では一般的なタマネギやジャガイモを栽培していた。
    また、この地域に電気が通る頃まで、コーヒーの栽培方法は非常に大雑把であった。

    父パウロは、1989年にファッチマと結婚し、フィリーニョさんから独立した。そして3,000本の本のコーヒーを植え、当時はフィリーニョさんのコーヒーの乾燥場を使いながらコーヒーを生産していた。

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  • Manoel Protazio de Abreu

    マイクロロット2017マイクロロット

    マノエル・プロタージオ・デ・アブレウは、エスピリット・サント州ドーレス・ド・リオ・プレット市に位置するフォルキーリャア・ド・リオの集落に古くからある五家族の内の一家族である。
    彼の父方の祖父は、ポルトガル人でマノエルといい、彼と同じ名前であった。

    マノエル・サルバドール・プロタージオ・デ・アブレウ祖父さんは1900年生まれで、若い時、ポルトガルからリオ・デ・ジャネイロ州のカンタガーロに着き、ブラジルにやって来た。
    自分自身で所有できる自由な土地を求めエスピリット・サント州を目指し、カンタガーロを発ち長い旅についた。
    今日プロタージオ家が定住する所有地があり、現地生れのマリア祖母さんと知り合い結婚することになるフォルキーリャア・ド・リオの集落で、彼の旅を終えた。
    何年か後、彼の両親は、マノエル本人と同様にフォルキーリャア・ド・リオで生まれ、そして育った。

    一族のコーヒー栽培は、ほぼ一世紀に及ぶ。1925年頃、マノエルの祖父母は、森林を斧で切り拓き、そこでコーヒーの栽培を始めた。その当時の農場の事情は異なっており、コーヒーであれ全ては自家使用のために植付けられていた。
    外界とは非情に孤立して生活しており、その村落以外への商品の売り買いは難しかった。
    当時その場所には電気もなく、唯一農場の外で求めたものは、塩と軽油であった。
    彼の祖父は、彼らが住んでいた所から牛車で一日がかりの場所にあった鉄道の駅へ、それらの商品を手に入れるために行っていたとマノエルは語る。

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  • Jose Emilio Magro Joia da Forquilha農園

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    田舎を離れ都会に移り住む人々についての多くの話しを私たちは知っている。

    しかし、その逆のことも当然ある。都会で生まれ育ち、色々な理由で田舎へと向かう人々もいる。
    コーヒー生産者ジョゼ・エミリオ・マグロ(José Emílio Magro)もその一人である。

    1954年、彼はミナス・ジェライス州の地方の町カランゴーラに生まれた。
    彼の今まで、色々な都会の街に住んんだ。
    この田舎町を出て、エスピリットサント州の首都ヴィットリア、リオデジャネイロ、果ては遠く離れたアクレ州のリオブランコと。

    ゼ・エミリオ(=彼の愛称)は、大学に入るためヴィットリアへ行き、医師となった。
    その後、アクレ州で医業に従事する。

    アクレ全域の労働者の健康と安全管理を目的に開設された診療所で、彼は医師となった。
    また彼はそこで最初の結婚をし、ルドミラという名の娘を授かった。

    何年か後、ヴィットリアに引っ越し、定年まで働いた。
    そこでは、現在の妻であるエリエルシ・ダ・クーニャ・マグロと改めて結婚した。

    今、彼は一方の軸足を町に於き、もう一方の軸足を畠に置く。

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  • Sebastiana de Oliveira Faria

    マイクロロット2017マイクロロット

    セバスチアーナさんは、1947年に生まれで、ミナス・ジェライス州エスペイラ・フェリス市に位置するサン・ドミンゴスと呼ばれる集落で育ち、生活してきた。
    彼女のフルネームはセバスチアーナ・デ・オリベイラ・ファリアであるが、皆にレレナと呼ばれている。

    “オリベイラ”は、サン・ドミンゴスで生まれたブラジル人を祖先とするセバスチアーナの祖父も含めた彼の父方の苗字である。
    彼女の祖父イダリノは、トロペイロ【馬車などを使い集団で荷物を運ぶ業者】で、レオポルヂーナの街の鉄道駅から“ペドラ・メニーナ・シャーベ”と呼ばれる地方の駅まで商品を運んでいた。

    “ファリア”の名は母方からきており、レレナが言うには、曽祖母がそうであったようにインディアンのプリ族に祖先を持つ。
    このインディアン【の血統】は曽祖父により、ファリア一家に受け継がれた。ファリア一族はリオデジャネイロ州のナチビダージと呼ばれる町で生活し、レレナの祖父母は、そこにサトウキビの製糖工場を持っていた。
    その後、彼らは、より良い生活と、より涼しい気候を求めて、サン・ドミンゴスへ移った。コーヒー栽培を前提とし、その地域に一つの農場を買い、コーヒーを植え始めた。

    当時、“café de gaveta” と呼ばれる方法で植え付けられていた。
    コーヒー栽培は当地域で始まったばかりなので、植え付けの苗から家族によって作らなければならなかった。
    既に一家が植えていたコーヒーの樹から採った一握りの種を播くために穴を掘り、“gaveta(=引出し)”の中で発芽するまで、穴は藁で覆われていた。
    苗にまで育てられていた。

    以前は、農場内に植えられていたものは、コーヒーしかり、全てが家内消費用であった。
    非常に孤立して生活し、移動は歩くか牛車で、僅かな細道程度で、街道は無かった その為に全ての食糧は自給自足であった。
    米、豆、肉は農場内からであったが、僅かに発電のための軽油と塩を外部から求めなければならず、レレナと彼女の母は、これらの商品を一日がかりで町まで買い出しに行っていた。レレナの父は非常に活発で働き者であったが、片足を失っており、いくらかの制限があった。
    そのため、息子たちの助けを借り、代わりに農場を切り盛りしていたのは彼女の母であった。

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  • Nilton Gonçalves de Carvalho

    マイクロロット2017マイクロロット

    ニウトン・ゴンサウヴェス・デ・カルバーリョは、今クオリティー・コーヒーを栽培している彼の農園からそれ程遠くないジヴィーノ・デ・カランゴーラで生まれた。
    ニウトンは、彼の家族と共にジヴィーノの隣町のサン・ドミンゴスと言う小さな村に遊びに来ていた。
    彼が寝泊まりしていたサン・ドミンゴスにある農場の地主に薦められ、2003年の終わりごろ、その中の一部の土地を買う決意をした。

    サン・ドミンゴスは水が豊富な上、土地も肥沃で、害虫もいなかった。
    その他にも面白味のない歩合制での生活にニウトンが見切りをつけるのに良い機会でもあった。
    その結果として、家財道具を持って引っ越した。

    彼の両親や祖父母もまた、町から近いその地域で生まれた。
    父方の家族はマニュサウ出身で、ニウトンはマニャサウでの子供の頃、彼と彼の兄弟は、小さな缶でコーヒーを収穫しに行っていたことを覚えている。
    彼らはコーヒーを 臼で潰して、岩の上において乾燥させていた。
    学校へ行く前や終わった後に飲むため、そのような方法でコーヒーを作っていた。
    でも彼の両親は、祖父母同様に家庭内で飲用するのみにコーヒーを生産していた。
    収入源や仕事としてコーヒー栽培を始めたのは、ニウトンであった。

    ニウトンはエジラマールと結婚し、4人の子供がいる:エジライネ、ニウマ、エジミウトンとニヴァウド。
    二人の娘は結婚して町の方に住んでいる。
    二人の息子はコーヒー栽培の仕事にずっと参加している。
    農園での営農は完全に家族経営で、家族は新しいことに取り組むことに厭わない。
    ある時ニウトンは肘を骨折し、畑仕事が出来なくなったため、彼が加入している協会でスペシャリティコーヒーついての講習に通うことに決めた。
    彼の家族は好奇心が旺盛で、講習の内容に興味を持った。講習で教えられたことを忠実に実行し始め、コーヒーに詳しい専門家を自分の農園に呼んだりして、仕事をやりながら、少しづつと自分たちの豆の品質が良くなっていくことに気づかされた。
    あの時の肘の骨折は不幸中の幸いで、今日、良い結果を招いたニウトンはと言う。

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  • Edison Abreu Olibeira

    マイクロロット2017マイクロロット

    エジーニョとして知られる、エジソン・アブレウ・オリベイラは、ミナス・ジェライス州とエスピリット・サント州の州境に位置する、標高の高い山脈、セーハ・カパラオ地域のコーヒー生産者である。

    エジーニョは1989年12月12日生れ。同山脈の中で丘陵の拡がるフォルキーリャ・ド・リオ集落に古から居る4家族の一員である。

    彼の家族の苗字アブレウは、高祖父の父親から始まった。高祖父の父親はポルトガルで生まれで、リオデジャネイロ州のカンタガーロ経由でブラジルへやって来た。
    自由になる自分の土地を求め、ポルトガルから、エスピリット・サントス州を目指しての長い旅であった。
    彼は結婚し、やがて彼が農場を拓くことになるフォルキーリャ・ド・リオ集落に移り住んだ。

    一族に於いてコーヒー栽培は、ほぼ1世紀となり、曽祖父が今と同じ場所でコーヒー栽培を始めた。

    当時、農場の状況は今とは異なっていた。
    生産の手助けをする機械や技術も無く、まさに手作業であった。それゆえ生産されていたコーヒーの品質も、非常に低かった。
    そして家庭内で消費しきれなった分を近隣の町で、物々交換したり、売ったりしていた。
    街道もなくフォルキーリャの生活は非常に孤立していた。
    商品はロバの背中に載せられ町まで運ばれていたが、その道のりは1日がかりか、それ以上であった。

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